ベイエリアの歴史(17) – 大戦前夜、シリコンバレーの誕生

HP創業 1938年、ビル・ヒューレットとデイヴィッド・パッカードが、オーディオ発振器を作り出しました。一般にこのときが、「シリコンバレー」の誕生とされています。

ヒューレットとパッカードは、スタンフォード大学エンジニアリング学部の同窓生でした。卒業後、パッカードは例の人材輩出企業(!)、北ニューヨークのGEに就職、ヒューレットはスタンフォード大学院に残りましたが、大学時代の教授の勧めで二人はベンチャー創業を決意。パッカードは、結婚したばかりの奥さんと、38ドルで買ったドリル・プレスを車に乗せて、はるばる大陸を横断してカリフォルニアへと帰ってきました。途中、ルート66を通ってきたかどうかは不明です。

ヒューレットは新婚カップルのために新しい家を探し、パロアルトの367 Addison Avenueにある家に決めました。母屋にはパッカード夫婦が、裏庭の小屋にヒューレットが住み、ガレージが作業場となりました。二人は、奥さんの稼ぎで生活を支えながら、そこでいろいろなモノ、たとえば医療機器や天体観測機器から、ハーモニカのチューナーやトイレを自動的に流すための部品までを、ちょこちょこと作っては売っていました。

1938年にヒューレットは音の周波数を計測する新しい方式を開発し、二人は従来のものよりも画期的に安定して低コストなオーディオ発振器をつくりました。この製品がウォルト・ディズニーの目に止まり、1940年にリリースされた劇場用アニメ映画「ファンタジア」の製作に使われ、彼らの初の「正式な製品」となります。1939年には正式に会社を創業、コイン・トスにてどちらの名前を先にするかを決めて「ヒューレット・パッカード(HP)」となりました。

この367 Addisonには今もごく普通の家があり、カリフォルニア州の史跡と指定されて「Birthplace of "Silicon Valley"」という看板が立っています。HPが2000年にこの家を購入して保存活動をしていますが、一般公開はされていません。そして、HPは2013年にFortune500のトップ10リストからずり落ちてアップルに追い越されるまで、シリコンバレー最大の企業でした。

それにしても、なんとものどかな創業譚であります。1939年といえば、日本ではノモンハン事件、欧州では第二次世界大戦が始まり、カリフォルニアでもモフェット・フィールドにエイムス研究所ができた年とはいえ、まだまだ戦争とは無縁の別世界のようです。

物量作戦がつくった病院

そのカリフォルニアが本格的に戦争に関わるようになるのは、1941年真珠湾攻撃の頃からです。この年には、ビル・ヒューレットも会社を離れて軍隊に入っています。

太平洋での戦闘に備え、アメリカ政府は、太平洋岸での船の大量増産というきわめてアメリカンな物量作戦を発動。この要請に応えたのが、ヘンリー・カイザーというアントレプレナーでした。

カイザーはニューヨークの生まれでしたが、カリフォルニアに移住して道路工事を請け負う会社などをやっており、1942年、リッチモンドにカイザー造船所を設立して「リバティ」と呼ばれる船の製造を開始します。彼は造船の経験はありませんでしたが、フォード自動車工場の組立ラインの仕組みを研究し、パーツに番号を振って管理したり、従来はリベットで打ち付けていた工程を自動車のような溶接に変えるなどにより、従来より大幅に短時間(平均45日)で船を作る工法を編み出しました。

大増産体制のために大量の従業員が必要となり、アメリカ中から人をかき集めたのですが、その多くが南部で失業していたアフリカ系の人達でした。このために、現在でもリッチモンドやオークランドなど、サンフランシスコ対岸のイーストベイにはアフリカ系の人口が集中しています。

「戦争の一部」ともいえる厳しい工程の中で、事故も多かったのでは、と想像されます。カイザーは、こうして集めた従業員のために、政府の軍事予算からファイナンスを受けて、造船所内に病院を設立します。これが、のちにカイザー・パーマネンテという病院・医療システムに成長します。

現在カイザー・パーマネンテは、なにかと「ヒドイ」と言われるアメリカの医療保険システムの中で、ユニークな存在として知られています。普通は病院と医療保険は別々で、患者は病院でかかった費用を保険会社に申請して保険金が出るわけですが、カイザーは「病院」と「保険」が一体化しており、いわば「会員制の病院」です。メンバーは通常の医療保険と同じ程度の「会費」を毎月払い、必要に応じてカイザー病院にかかります。通常のシステムでは、病院側に「診療費を安くする、内部コストを下げる」というインセンティブがあまりないために、アメリカ全体の医療コストが大変なことになっているのですが、カイザーでは決まった会費で運営するために内部コストを下げるというインセンティブが働くので、早くから電子カルテなどのIT化を進めて、患者側にとっても圧倒的な効率の良さを誇り、アメリカの「医療IT」の世界では「巨人」的な存在となっています。

カイザーは、カリフォルニアとコロラドぐらいにしか病院ネットワークがないため、アメリカ国内でも一般の人には意外に知られていません。また、私自身2000年頃にカイザーの会員になりましたが、当時のイメージは創業の経緯からもわかるように「ブルーカラー向けの安い病院」であり、実際に来ている患者もメキシコ系の人がやたら多かった覚えがあります。その後10年ほどの間に経営を大改革して現在の「医療ITの巨人」となりました。「アメリカの最も深刻な社会問題」とも言われる医療問題にITで対決するという意味で、カイザーはベイエリアの重要なテクノロジー企業の一つであると思っています。

<続く>

出典: カリフォルニア州認定小学校教科書”California” McGrowhill刊、Wikipedia、 山川世界史総合図録、山川日本史総合図録、HP HistoryThe Birth of Silicon Valley, Fortune500